ニッポン城めぐりと 岡山市のコラボイベント
地域限定城めぐり『新・岡山城 宇喜多氏二代の足跡』

現在、お城ファンの間で人気のアプリ・ニッボン城めぐりと、岡山市がコラボした地域限定城めぐり『新・岡山城 宇喜多氏二代の足跡』というイベントが2024年2月12日まで岡山市内で行われておる。宇喜多関連のお城や歴史スポットを回るGPSを使ったスタンプラリーなんじゃが、岡山戦国武将隊がこのイベントツアーに参加してきた様子と訪れた宇喜多関連の城、関連スポットをお伝えしてまいろう。
掲載日:2023年10月23日
  • ライター:岡山戦国武将隊
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『新・岡山城 宇喜多氏二代の足跡』ってどんなイベント?

このイベントは、ニッポン城めぐりというゲームアプリ(日本中のお城3,000城を網羅しており、GPSを使ってそれぞれのお城を攻略していくというもの。3,000城コンプリートしている猛者も大勢すでにおるらしい)を使い、宇喜多関連の岡山市内10箇所のスポットを回り攻略していくもので、コンプリートするとアプリの中で使える限定の姫がもらえるというものじゃ。アプリユーザーはこの限定の姫がほしいんじゃな。今回は宇喜多直家の妻であり、岡山城初代城主宇喜多秀家の母でもある(おふく)円融院がもらえるんじゃ。
まず宇喜多直家が初めて城主となった乙子城からスタートじゃ。

宇喜多家再興の始まりの城・乙子城

今回のツアーには、西は九州から、東は東京からと20名ほどのお城好きの方々が参加されておった。
岡山駅に集合ののち、スタート地点の乙子城に車に分乗して到着。するとサプライズで宇喜多直家、宇喜多秀家、明石掃部が参加者をお出迎え。ツアー参加者も突然甲冑武者が現れてビックリ!
早速スマホで位置登録して乙子城をゲット。皆さんコンプリートに向けて気合い十分じゃ!さあ、ツアーの始まりじゃ。戸川秀安は参加者と同行してイベント制覇するようじゃ。
【乙子城】
天文13年(1544)浦上宗景に仕えていた宇喜多直家が初陣で赤松晴政との戦いで戦功をあげ、三百貫の所領と30人の足軽を与えられ、児島湾への睨みの利くこの地に築城した。直家スタートの城じゃ。遺構は曲輪などが残っている。 写真のモニュメントの回りの30個の石は与えられた足軽を表しておるんじゃ。

日本三大奇祭、西大寺はだか祭りが行われる観音院

2番目のスポットは西大寺の観音院じゃ。
天下の奇祭・西大寺会陽で知られ全国にも有名な西大寺観音院は宇喜多直家とも深い関係があるんじゃ。槌戸の龍神から授かったと伝えられる龍鐘(国重要文化財)を宇喜多直家は軍鐘として城へ持ち帰りましたが城で衝いても音が出ないので、再びお寺に戻された逸話が残っておる。
尚、今回のツアーのコースは、岡山の中世山城を知り尽くしておる角南友行殿が組んでくだされたものじゃ。

沼城(亀山城)に移りさらに飛躍する宇喜多家

3番目のスポットは沼城じゃ。亀山城ともいわれ、中山氏に変わって沼城主となった直家はこの地を拠点として備前国南西部に急速に勢力を拡大させたんじゃ。宇喜多秀家はこの城で生まれておるんじゃ。
【沼城】永禄2年(1559)義父の中山信正を謀殺して城主となり、石山城(岡山城)に移るまで約15年間在城した。 岡山城の明治初年に撮影された古写真にも写っている大納戸櫓はここ沼城の天守を移築したものという伝承も残っておる。

石垣の残る中世山城・徳倉城

4スポット目は徳倉城じゃ。金川城主で備前国西側一帯に勢力を拡げた 松田氏の一族宇垣氏が天文年間から代々居城し、永禄11年(1568)宇喜多直家によって 金川城の松田氏が滅ぼされると徳倉城も宇喜多氏の手に落ち、重臣の遠藤河内守が城主となった。
【徳倉城】山頂の本丸を中心に3本の尾根上に階段状に曲輪が配されておる。本丸北端から東辺の石垣は高さ4~5mに及び圧巻じゃ。

ねね様ゆかりの足守陣屋でランチ

5番目のスポット、足守陣屋はランチを兼ねて足守プラザへ。 おかやま観光コンベンション協会が運営する施設で陶芸や木工芸づくりの体験が出来る。地元産の食材を使ったお食事処洪庵茶屋も隣接しておる。我々はこちらで特別メニュー足守御膳を予約しておいた。 デザートには足守の特産品である足守メロンも付いておってとても美味じゃった。
【足守陣屋】 豊臣秀吉の正室である北政所の兄、木下家定の実子である小早川秀秋は、関ヶ原の合戦後、備前・美作50万石を与えられ岡山城主となり、ほぼ同時に実父である木下家定も播磨から足守へ転封。 足守藩は幕末まで存続し陣屋町は今も江戸時代の風情を残しておる。陣屋の庭園、近水園には吟風閣が現存している。

秀吉水攻めの舞台・備中高松城

6番目のスポットは備中高松城じゃ。このスポットはGPSでの登録ではなく、現地に設置されておるQRコードを読み込むことで攻略できるのじゃ。 城趾内には新たに備中高松城趾資料館が2023年6月にオープンしたばかりじゃ。ぜひ立ち寄られてみられるとよいじゃろう。
今回のツアーは車に分乗しての移動じゃったんじゃが、写真を見ての通りお城好きの車のナンバーには46(シロ)という数字がよく入っとるんじゃな。 【備中高松城】織田信長から中国攻めの総大将を命じられた羽柴秀吉と中国地方を治める毛利輝元が激突した備中高松城の戦い! 湿地帯に築かれた平城である。

城として利用された造山古墳

7番目のスポットは備中高松城の戦いの際、毛利軍に砦として利用され、改変された全国第4位の規模を誇る造山古墳。古墳としての破壊の傷跡も残るが、中世山城の遺構も楽しめ、古墳好きにも城好きにも喜ばれる史跡なんじゃ。

対毛利戦最前線の宇喜多の城・辛川城

8番目のスポットは辛川城じゃ。辛川城の立地は麓に旧山陽道が通る交通の要衝であり、天正7年(1579)に宇喜多氏と毛利氏が激突した辛川合戦も行われており、備前国と備中国の最前線の拠点として機能していた。曲輪、土塁、堀切などが残っておる。

毛利方境目7城の一つ・庭瀬城

9番目のスポットは庭瀬城じゃ。ここは、ツアーに同行した戸川秀安の息子・戸川達安が宇喜多騒動で宇喜多家を出奔したのち、関ケ原の合戦は東軍として参戦したため、江戸時代に徳川家の旗本として与えられた城なんじゃ。
【庭瀬城】足守川の河口に広がる沼地に立地した平城で、毛利領の最前線境目7城のひとつ。港に接した庭瀬城は水上、陸上交通の要衝として重要な役割を担っておった。西側300mには野面積みの石垣が残る撫川城がある。現在でも庭瀬地区には堀が張り巡らされており、城下町の名残が色濃く残っておる。

ゴールは岡山城!

こちらゴールの10スポット目の岡山城もQRコードを読み込むスポットじゃった。 岡山城にも朝、乙子城で参加者を出迎えた宇喜多秀家、明石埽部と、岡山戦国武将隊サポーターの子供武者・ばんり君がゴールでも待っておった。QRコードは天守閣内の1階にあった。
。岡山城天守はリニューアルオープンしてもうすぐ1周年。1周年記念イベントも大々的に開催される予定じゃ。我々岡山戦国武将隊も演舞で出陣いたす。
最後のスポットを読み込むと完全制覇の画面に切り替わった!そして、報酬の円融院をゲットできた。イベント完全制覇おめでとうござりまする。 戸川秀安も無事、イベント制覇出来たようじゃ。 まっこと楽しきイベント「宇喜多氏二代の足跡」じゃった!

イベントに参加するには?

このイベントに参加するには、今回使ったアプリ「ニッポン城めぐり」にまず登録することが必要じゃ。お城好きな方には大人気のアプリなんじゃ。無料で日本中の3,000城の情報を得ることもよし、各城攻略して回るもよし、行ったお城の写真や口コミを投稿もできる。そして、行った場所のゆかりの武将も発見でき登用することも出来るんじゃ。また課金は一切なしじゃ。(課金したくても出来ぬ)

今回は1日で自家用車にて全ての10スポットを回ったが、じっくり各スポットを堪能することは時間の都合でできなんだ。各お城や周辺スポットも見て回りたい方は1泊することをお勧めいたす。 岡山市の地域限定城めぐり「新・岡山城 宇喜多氏二代の足跡」楽しみに来てくだされ。
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