<予備知識1>「前方後円墳」とは?
その成り立ちには諸説ありますが、基本的には円形の部分がお墓の本体で、そこへ儀式などを行なう祭壇として方形の部分を組み合わせたと考えられています。便宜上“前方”や“後円”と呼んでいますが、実際には古墳の向きに前や後ろがあるわけではありません。
神宮寺山古墳(岡山市北区中井町)
ちなみに、全国第4位の大きさで知られる「造山古墳」(岡山市)は、もとからあった自然の山を削ってつくられたそうですが(それも大変な労力であることに変わりはありませんが)、「神宮寺山古墳」は平地に土を盛ることで築き上げたものだそうです。
それでも、墓地の右下のほうを注意して見ると前方部がしっかりと2段になっていることが確認でき、古墳としての威厳をギリギリのところで保っている感じがします。
「神宮寺山古墳」は市街地に埋もれそうになりながらも、まだまだ強烈な存在感を放っていました。ぜひ現地を訪れて、先人の労力に思いを馳せたり、悠久の時の流れを感じてみてください。
<予備知識2>「古墳時代」とは?
それらと比較すると「神宮寺山古墳」は全長約150mですので、それほど大きくないと思われるかもしれません。しかし、「神宮寺山古墳」は古墳時代前期(4世紀頃)に築かれていますので、完成した当時は全国でも有数の大きさだった可能性があります。同様に、現在は全国第4位の大きさである「造山古墳」(岡山市)も、完成した当時は全国最大規模であった可能性があり、古代吉備の権勢をうかがい知ることができます。
「三野公園」は巨大な前方後円墳!?
「神宮寺山古墳」から約1kmほど北にある「三野公園」(岡山市北区三野本町)は桜の名所として市民に親しまれている歴史のある公園ですが、実は以前から「ここは古墳ではないか?」というウワサがあるのです。今回は“おまけ”としてその可能性を検証してみたいと思います。
まず、上空から撮影された写真を見てみると一目瞭然! 中央に見えている山が「三野公園」で、その形状はまるで前方後円墳です。ちなみに前方部に相当する場所にあるのが「三野公園」で、後円部に相当する場所には「天神社」(てんじんじゃ)があります。
もしこれが本当に古墳だとしたら全長500m超! ダントツで日本一の大きさとなり、日本史の常識がひっくり返るかもしれません。それでは、少し時代をさかのぼってこの地形について検証してみましょう。
これは1975年に撮影されたものです。樹木が伐採されているので後円部に相当する部分が段になっていることが確認できます。いかにも古墳らしい感じもしますが、高度経済成長期の開発による造成の可能性もありそうです。時代をもう少しさかのぼって確認してみましょう。
この写真は1947年に撮影されたもので、現在の状況とほとんど変わらないように見えます。私の調査で確認できた最も古い写真は米軍が1945年に撮影したもので(ここには掲載できませんが)、その様子は1947年のものと大差ありませんでした。また、明治30年頃の古地図を確認してみたところ、等高線から読み取れる山の形状はやはり前方後円墳のような姿をしていて、近代以降の造成という可能性は低そうです。
この写真は「三野公園」から約1kmほど北にある中原橋から撮ったもので、中央に見えているのが「三野公園」と「天神社」のある山です。向かって左側の前方部に相当する部分は低く平らになっていて、右側の後円部に相当する部分は少し高くなっています。やはり横から見たシルエットも前方後円墳っぽいですね。
まとめ
もし、「三野公園」が山を削ってつくられた古墳で、何らかの理由で不完全な状態であるとしたら…? 古墳だと考えた方が絶対に楽しいと思うのです。全国の「我こそは!」という歴史ファンや考古ファンの皆様は、お花見がてら現地を訪れて、この謎に挑戦してみてはいかがでしょうか。