バレンタインにチョコをお供え!? 宇喜多家の菩提寺「光珍寺」

2月14日バレンタインデーは、岡山の基礎を築いた戦国武将・宇喜多直家の命日なんじゃ。宇喜多家の菩提寺「光珍寺」は、毎年多くの宇喜多ファンの歴女の方々がチョコレートをお供えするのが恒例になっておる、ちょっとユニークなお寺じゃ。
以前は3階建てのビルの中に本堂があったのじゃが、建物が解体され、昨年新たに朱塗りの柱に白壁、重層の宝形造りの屋根を持つ本堂が平地に落成したばかりで、新本堂での2回目のバレンタインデーを迎える。今回は岡山戦国武将隊の宇喜多直家と宇喜多秀家親子、そして秀家の妻・豪姫と、宇喜多家家臣の戸川秀安が、生まれ変わった「光珍寺」を尋ねた様子をご紹介いたそう。
掲載日:2024年02月06日
  • ライター:岡山戦国武将隊
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宇喜多家菩提寺・光珍寺の歴史

「光珍寺」はとても由緒のある歴史の古いお寺なんじゃ。
創建は奈良時代・天平勝宝元年(749)で、もともとは岡山寺と称し、東側に隣接する岡山寺と一体の寺であった。天正元年(1573)に宇喜多直家が父、興家(露月光珍居士)の位牌所としたことにより、光珍寺と名乗るようになった。江戸時代の慶安5年(1652)、藩主が池田家の時に岡山寺光珍寺と岡山寺観音坊に分かれた。その後徐々に本堂、客殿、愛染堂などの伽藍が整えられ、今日まで宇喜多家の菩提寺として続いてきておる。
※写真は戦災消失前の光珍寺(光珍寺ホームページより)

第二次世界大戦の岡山空襲により灰燼に帰す

昭和20年(1945)6月29日、米軍による岡山大空襲があった。この時岡山の市街地と岡山城天守などの多くの文化財も戦災消失している。光珍寺もこの時に被災し、江戸時代に建てられた建物が灰燼に帰した。建物だけでなく、本堂などに安置されていた本尊の国宝に申請中であった愛染明王像(写真右・光珍寺ホームページより)や、宇喜多興家と直家、宇喜多家一族の位牌と宇喜多直家の木像(写真左)などの貴重な文化財も一緒に焼失している。その後、昭和55年に本堂が再建され、令和5年には新たな本堂が落成している。

今、再評価される宇喜多家

2月14日のバレンタインデーと宇喜多直家の命日が同じなため、毎年多くの歴女の方々が光珍寺にチョコレートをお供えしに参られておる。

宇喜多家といえば、以前は暗殺、裏切りなど手段を選ばず下剋上を成し遂げた、日本三大梟雄と呼ばれた宇喜多直家と、そしてその息子である秀吉に若くして抜擢されて五大老にまで上り詰めたが、八丈島へ流配された関ヶ原の西軍の敗戦武将・宇喜多秀家が有名。親子ともに少し悪いイメージを一般的に持たれておった。

しかし、最近の研究や出版された書籍、小説やマンガなどによりこれらのイメージが変わってきている。ここ数年、宇喜多家の評価が今見直されてきておるんじゃ。領民や家臣のため、ましてや敵兵のために「一殺多生」という考えで手段を選ばず戦国の世を突っ走った直家。負けても流配先の八丈島で生き抜いた秀家。後世に子孫を残し、宇喜多家は語りつがれておる。明治になって許され、ご子孫の方々は本土に戻られた。このような宇喜多の生きざまに多くの歴史ファンが共感しておるんじゃな。

毎年2月11日に行われる宇喜多直家の法要

毎年、直家の命日近くの建国記念の日(2月11日)には法要が行われておる。全国から関係者と宇喜多ファンの歴史好きな方々がお参りに来られる。法要当日は石渡隆純住職や檀家、多くの歴史ファンらが出席する。(写真は昨年の法要の様子:山陽新聞社提供)

法要後に宇喜多家PR大使を務めるソプラノ歌手・雨谷麻世さんが奉納歌を披露する予定になっておる。
この法要には関係者以外にも広く一般の方も自由に参加することができるんじゃ。この機会にぜひ宇喜多家ゆかりの「光珍寺」に訪れてみられてはいかがじゃろうか。
お供え物は、もちろんチョコレートがよろしかろう。

【宇喜多直家公祥月命日法要】
誰でも参加可。参加費無料。
開催日:2024年2月11日(日・祝)
    10:30~11:00(参列者によるバレンタインチョコレートのお供え)
    11:00~11:15(宇喜多秀家卿PR大使でソプラノ歌手の雨谷麻世さんによる奉納歌)
会場:光珍寺(岡山県岡山市北区磨屋町6-28)
   (公共交通機関)JR岡山駅から徒歩約15分
   (車)山陽自動車道岡山ICから約20分

新しい本堂の中に入ってみた

新しくなった新本堂をご案内しよう。本堂は木造平屋建て。外観と同じく内部も朱塗りの柱が映える。そして目をひくのが天井一面に貼られた金箔地に描かれた天井画。とても豪華じゃ。
この天井画は、前のビル内本堂にあったものを、そのまま移しているそうじゃ。その中には宇喜多の旗印である「児」の字が青白く浮かび上がっておった。正面には御本尊の阿弥陀如来像が祀られておる。
左側には宇喜多家を祀る直家とその父である興家、そして宇喜多家一族の位牌がある。この位牌は戦災消失後に復元されたものじゃ。
その近くには焼失した宇喜多直家の木像の写真が飾られておる。木像は焼失したが、写真が残っていたため直家の姿を垣間見ることができるんじゃ。実はこの写真を参考にして彩色された木像が復元されておるんじゃ。「光珍寺」から岡山市に寄贈されて、現在は岡山城天守内に展示されている。こちらも合わせてご覧になってくだされ。
そして、宇喜多秀家の甲冑、宇喜多一族の絵画・イラスト、出版された宇喜多関連の書籍、その他にも様々なグッズが並んでおる。

2024年6月全ての工事が完了

現在「光珍寺」は本堂と寺務所が完成しているが、寺内の敷地整備はまだ途中で、2024年6月にすべての工事が完成する予定になっておる。バリアフリー化され、車椅子の方も安心してお参りできるようになる。
境内はたくさんの木々が植えられ、緑多い新たな「光珍寺」として令和の時代に蘇るのじゃ。

さいごに

「光珍寺」は宇喜多家の菩提寺としてずっと宇喜多家一族の菩提を弔ってきたが、宇喜多家の顕彰も積極的に行っておられる。「光珍寺」を事務局とする宇喜多史談会というものがある。岡山城を築城した宇喜多家の治績の理解と調査研究及び顕彰等の活動を行い、歴史の啓発と岡山の活性化の高揚を図り地域社会の発展を目的としている非営利団体なんじゃ。ご興味ある方はぜひ。

そして、岡山市は昨年「宇喜多家を大河ドラマに!」と名乗りを挙げた。今年から宇喜多家も益々注目され、研究も進んでいくことじゃろう。ぜひ、岡山の宇喜多関連スポットを訪れて、宇喜多家の生き様を感じてくだされ。我々岡山戦国武将隊も皆様のお越しをお待ちしており申す。

【光珍寺】
所在地:岡山県岡山市北区磨屋町6-28
TEL:086-222-2028
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