日本遺産に認定されている「高梁市吹屋」
標高500mの高原上に忽然と出現する「赤い町並み」。
日本遺産ストーリーに書かれたこの言葉に興味を持ち、訪れた吹屋には本当に言葉通りの町並みが広がっていました。険しい山道を縫ってたどり着いた先の、赤で統一された町を大人になって改めて見ると、ほかにない景観に心惹かれます。
普段なじみのない言葉ですよね。
海外の人々がもつ日本のイメージカラーは圧倒的に「赤」といわれ、神社仏閣の赤、九谷焼・伊万里焼の陶磁器、輪島塗・山中塗の漆器の赤など、日本の伝統工芸に欠かせない色です。その赤色顔料、硫化鉄鉱石を原料とするベンガラ(弁柄)の製造法が偶然に吹屋で発見されて以来、吹屋生産のベンガラが全国に普及し、吹屋は「ジャパンレッド」発祥の地とされました。
繁栄した商人たちは、赤い瓦とベンガラ塗の格子で家々を飾り「赤い町並み」を形成。周辺の弁柄工場や銅山の跡とともに、吹屋の独特な景観は今も大切に保存されています。
吹屋に鉄道網はなく高梁市街から車でさらに1時間ほど北に進みますが、独特な景観と町の人々のあたたかさが人を惹きつけ、絶えず人々が訪れ、移住する人も増えてきたそう。
2022年の旧吹屋小学校
吹屋小学校は2012年に閉校するまで「現役最古の木造校舎」として使用されました。2015年から保存修理事業が始まり、7年もの歳月を経て2022年4月、吹屋の歴史や文化を発信する地域の新たな拠点として一般公開されました。
貴重な文化財建造物として将来に継承するため、校舎はなんと、一度すべて解体されたのだそう。当時の貴重な写真をお借りしました。
2012年の吹屋小学校
2012年、閉校時の吹屋小学校です。再建された今と比べても全く変わらないように見え、7年をかけた保存修理技術の素晴らしさを改めて感じます。
吹屋小学校は1900(明治33)年に東西校舎、1909(明治42)年に本館が建築されました。設計は岡山県工師の江川三郎八。校舎はいずれも閉校まで大きな改築はされずそのままの形が残った貴重な建物で、明治後期を代表する擬洋風の学校建築として評価され、岡山県の重要文化財(建造物)に指定されました。
保存修理の過程で、まさに校舎が全解体された時の貴重な1枚です。
建物を全解体し、地盤補強と建物の構造補強を施し再構築する保存修理事業についても本館に詳しい展示があり、建築関係者も多く訪れています。
日本を代表する財閥が経営に関与した吉岡銅山は、近代産業遺産にも認定されました。三菱から吹屋村に寄附された吉岡銅山の本部跡地が、まさに今、小学校が建つ場所なのだそう。詳しい歴史は校内でじっくり学べます。
大正時代の玄関ポーチ
本館の三間廊下
平成時代の教室
講堂
こんなに広いのに柱がない空間が、2階に成り立つとは驚きです。柱のない空間とするためトラス構造を採用。周囲のカーブが美しい「二重折り上げ棹縁(さおぶち)天井」など、和洋折衷の意匠に明治の擬洋風建築の特徴がみられます。
百年オルガン
懐かしい教材の数々
「顕微鏡なつかしい!」「私の小学校にもあったわぁ」「この楽器、見たことない!」……あちこちで歓声があがり、それぞれの想い出話が飛び交っていました。私はここでリラという楽器を初めて見ました。家族3世代で行くと、いろんな時代の話が聴けそうですね。
閉校時の行事予定表
2012年3月20日(火)卒業式・閉校式、と刻まれています。当時の様子を伝えていこうという皆さんの思いが伝わってきます。
明治時代の教室
最新の映像技術を体験!
プール
吹屋の歴史を通して大人にとっても大切なことを教わり、何度訪れても発見がある学びの宝庫だと思いました。あるひとつの町の歴史から、近代日本のあゆみまで思いを馳せることができました。豊かな自然に囲まれた環境、美しい吹屋にある素敵な場所。こんな学校、通ってみたい!
一般公開となり、旧吹屋小学校はすべての世代に向けての学校になったように感じます。吹屋の町と旧吹屋小学校のこれからがとても楽しみです。
「旧吹屋小学校」概要
【休校日】12月29日~1月3日
【入館料】大人500円、小中学生250円
入館券の裏面は粋な入校記念証になっていました。嬉しい♪
吹屋へのアクセス
岡山市中心部から高速道路利用で1時間20分前後
※JR備中高梁駅からは車で国道180号~県道85号経由 50分前後
旧吹屋小学校に一般駐車場はないため「吹屋ふるさと村」入口の下町観光駐車場に停めて、歩いて「登校」しましょう♪
【公共交通】
JR伯備線 備中高梁駅下車~
備北バス吹屋行き「高梁バスセンター」~「吹屋」約1時間
※吹屋行きバスは1日3本
事前に調べて行くのがおすすめです。
岡山駅~備中高梁駅間は、ゆっくり伯備線で行くのもいいですが、速くて便利な特急やくもに乗るのも楽しいですよ♪