戦国武将ファンなら見逃せない!黒田官兵衛、宇喜多直家ゆかりの地・備前福岡の歴史名所6選

山陽道と吉井川が交わる交通と流通の要衝で、かつて“中世随一の商都”として発展した備前福岡の地。歴史名所がぎゅっと集まっているこの土地を、のんびり歴史散歩してみませんか。福岡の市も併せてご紹介。
掲載日:2019年03月22日
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①まずは黒田家の墓がある「妙興寺」からスタート!

小さいエリアに観光名所がぎゅっとまとまって、歴史散歩にぴったりの備前福岡。早速ですが、黒田家の墓などがある妙興寺からスタートしましょう。
1403年(応永10年)、播磨の国主・赤松則興の追善供養のために創建された妙興寺。戦国時代には、寺域が約2万平方メートル以上に及び、1院と10の坊を有する大寺院でした。
ここには、戦国ファン必見の大物武将のお墓が現存しています。

注目は、黒田家、宇喜多家の墓所

全国各地から歴史ファンが訪れるというこちら。岡山県民にはおなじみ、岡山城の城主、宇喜多直家の父親である宇喜多興家の墓所があります。
宇喜多興家の父親、宇喜多能家が同じ浦上家の重臣だった島村盛実の奇襲により自害し、命からがら逃げ延びた興家。不遇の時代を備前福岡の豪商の家で過ごしたのだとか。1536年に病死し、その供養塔が作られたのだそう。
興家の供養塔の少し奥。こちらには、見事な策士ぶりで知名度全国区な黒田官兵衛…の曾祖父にあたる黒田高政のものといわれている墓所があります。
黒田家にとって不遇の時代。高政は1522年に備前福岡で亡くなりますが、官兵衛の祖父、重隆はこの地で青年期を過ごし、官兵衛の父となる職隆ら子をもうけ、黒田家の処世術を学んだのではないかと言われています。
また、官兵衛の子である長政は、1600年に筑前を治めた時、備前福岡を偲んで福岡城と名付けたとか。

大迫力の仁王門も見逃さないで

妙興寺の中でも最古のものと思われる山門・仁王門もお見逃しなく。
1626年、京仏師の清水源兵衛の作である金剛力士像は、水晶玉をはめ込まれた、ドキッとするほど大きな目が威圧的。瀬戸内市の指定重要文化財となっています。

②レトロかわいい仲崎邸でタイムスリップ

明治時代末から大正時代はじめにかけて建てられた大地主の邸宅。材木から石、瓦など、素材にこだわりの見える豪華な建物です。仲崎家が所有していた品々が見られ、備前福岡の歴史も学べますよ。
土日のみの開館で、都合により閉館する場合もありますのでご注意を。

③備前福岡の名所のひとつ、七つ井戸

仲崎邸のお隣に、当時の営みが垣間見える井戸があります。
備前福岡には吉井川の豊かな水系を利用した共同井戸が七つ存在し、地域の人たち、さらにその水質の良さを聞きつけた遠方の人たちからも愛されていたんだそう。
現在、七つの内、四つの井戸が昔の姿のまま残っているんですよ。すべて探してみるのも楽みのひとつ!

④刀剣ファンに知らせたい、一文字刀工跡の記念碑

そうそう、瀬戸内市といえば、古くから名刀の数々を生み出してきた刀剣の聖地ですよね。
大勢の刀鍛冶たちの一派である福岡一文字派は、鎌倉時代初期から多くの名工を輩出して、黄金期を迎えました。刀工たちが住んでいた福岡の地は、皇室の庇護を受けており、安定した環境の中で生活をしていたのだとか。
その地を示すこちらの記念碑。刀剣ファンにぜひ訪れてもらいたい…!

⑤その繁栄ぶりは見事なもの!福岡の市

実は、国宝の一遍上人聖絵に描かれているほどの繁栄をみせていた「中世福岡の市」。九州にある「福岡」の地名も、備前福岡があって名付けられたのだとか。堤防の下に経つこの石碑は、市の跡を示しています。
かつては〜…と語られがちな備前福岡ですが、今も地元の人たちが、地元生産者との交流も楽しめるマーケット「備前福岡の市」を開催しています。こだわりのグルメや、刀工さんによる包丁研ぎなど、ご当地感満載。観光に来るなら、このイベントに合せても良さそうですね。
毎月第4日曜の8:00〜14:00で、4月と11月は大市としてさらに賑わいを見せていますよ。

⑥旧医院を利用した備前福岡郷土館

歴史クラスタさんにとって、歴史スポットの勉強はもちろん楽しみ。備前福岡郷土館がありますので、こちらで歴史から、昔の写真や生活道具、医学書、書画なども見られますよ。
大正3年に建てられたという旧平井医院を利用した建物も心がときめきます。
木曜、土曜、第2・4日曜が開館日で、祝日は閉館。また、運営者の都合により閉館の場合もあります。10:00〜12:00、13:00〜15:00営業。

⑦町のつくりに至るまで見どころいっぱい

南北朝時代から室町時代にかけて守護・守護代の城館があった中世の城下町。一見なんとも思えない住宅地ですが、実は戦いに備えた工夫が、あちこちに仕掛けられているんです。
街中に行くに従って家屋が一人分奥に下がって、カクカクとなった「襞(ひだ)」。ここに人が隠れ、見張りなどをしていたんだそう。さらに、道路は直線ではなく少しカーブしていて見通しが悪く、攻めにくい造りに。
さらに、格子状に巡らされた道路。四つ角になっているのは一箇所だけなんです。これも見通しをあえて悪くするため。
守りやすく攻めにくい町づくりが、今も見えるカタチで残っているのは、感動!
歴史スポットだけでなく、そういった町全体の様子も、のんびり歩きながら楽しんでくださいね。
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