特に、吉備路エリアは「桃太郎と鬼はここで本当に戦ったんだ…」と感じられるスポット。
2018年5月に「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語」として27の文化財などが「日本遺産」に認定されました。
その物語の舞台の一部を、岡山県に引っ越して2年のライターこばんがカブで巡ってきました。
リアルで独特!「桃太郎伝説」を知ってから訪れると、さらに驚きと発見にあふれる旅になりますよ!
桃太郎伝説も観光スポットもわかる!おすすめガイドブック
岡山市が発行している『おかやま桃太郎ものがたり 吉備津彦と温羅』。JR岡山駅地下の一番街にある「ももたろう観光センター」などで手に入れることができます。
デジタルブック(電子書籍)としてWEBでもご覧になれます。
絵本なので桃太郎伝説に詳しくない方やお子さまでも、ハラハラドキドキ、楽しみながら読めると思います。(おとぎ話の桃太郎とはけっこう違います!)
ちなみに、
①吉備津彦=桃太郎
②温羅(うら)=鬼
この2つの予備知識があると、歴史に詳しくない私のような方でも桃太郎伝説の旅をより楽しめると思います。説明板に「吉備津彦」と出てきたら「桃太郎」に置き換えて読んでみてください。
ちなみに「温羅(うら)」は、外国から逃れてきた渡来人で、「たたら(製鉄)」などの技術に長けており、吉備の人たちから大変頼りにされていたようです。私も初めて知ったときは驚きました。岡山では、桃太郎も温羅もヒーローなんです。
鬼ノ城(きのじょう)
駐車場がある「鬼ノ城ビジターセンター」からさらに歩きます。こんなところに山城を作るなんてすごい!
復元された異国情緒あふれる西門は、澄んでいると瀬戸内海まで見渡せる絶景スポットです。
大和朝廷が防衛のために築いたとされてはいますが、歴史書に記述がなく謎だらけと言われています。
もしかしたら、温羅たちがここから岡山を展望し、楽しく暮らしていたのかもしれません。
また、城壁に沿って2.8kmのウォーキングコースがあり、晴天のこの日、多くの方がウォーキングを楽しんでいました。
鬼の釜
実際はお寺で入浴や炊き出しに使われていたという説が有力なのだそうです。このあたりは鉄がよく採れ、地元(総社市阿曽)の鉄が使われているとのことです。
たたらが得意だった温羅が作ったのは本当なのかも!?
矢喰宮(やぐいのみや)と血吸川(ちすいがわ)
戦いの際、吉備津神社付近(楯築遺跡)から桃太郎が射た矢と、鬼ノ城から温羅が投げた岩がちょうど中間あたりでぶつかりあい、落ちた場所とされています。
境内にはごろごろと大きな岩が!(写真右)温羅が投げた岩と言われています。
この戦いで温羅の目に矢が刺さり、大量に出血し、川に血が流れました。その川が「血吸川(ちすいがわ)」です。
川が真っ赤に染まったそうで、製鉄の影響で実際も赤かったのではないかとも言われています。
名前だけで恐ろしい「血吸川(ちすいがわ)」、私は残念ながら見つけられなかったのですが、矢喰宮の南西に走る砂川だそうです。
鯉喰(こいくい)神社
戦いの中で、鯉に化けて血吸川に逃げる温羅を、桃太郎が鵜になって追いかけました。
そしてついに桃太郎(鵜)が温羅(鯉)を飲み込んだ場所に建つ神社です。このあと、温羅は力尽きて、首をはねられてしまいます。
楯築(たてつき)遺跡
西を向くと「吉備の中山」が見えます。吉備の中山にある「茶臼山御陵」には桃太郎のモデルとなった吉備津彦命が眠っているとされています。
吉備津神社
また、温羅の首が地中深くに埋められたと言われる御釜殿では、釜の鳴る音で占う神事「鳴釜神事」が今も行われます。
戦いに勝ったあと、温羅にうなされ続けた桃太郎。「大好きな阿曽媛(あそひめ)にかまどの世話をさせてくれ、その代わり自分は占いをする。世の中に幸せが訪れるときはこの釜をおおいに鳴り響かせるから」という温羅の言葉が起源とされる神事です。
桃太郎が描かれたおみくじボックスや、桃鈴のお守りも。昔から、桃には厄除けの力があるとされてきました。
吉備津彦神社
吉備津彦神社もまた、厳かな雰囲気がする美しい神社でした。
ちなみに「桃」も、実は日本遺産「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま 〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜」の構成文化財のひとつとなっています。
吉備の中山
こんもりと丸くて綺麗で、吉備津神社と吉備津彦神社が両袖に位置します。
「真金吹く」とは、鉄精錬の際に飛び散る火花の様子だそうです。
温羅は製鉄に長けていました。歌われている鉄づくりの光景を思い浮かべると、桃太郎伝説がさらにリアルさを増します。
桃太郎、そして温羅に出会う旅を、岡山でぜひ楽しんでくださいね!