盛綱橋
どうしたら戦えるのか・・・頭を抱える源氏軍。
そんな時、源氏の佐々木盛綱は、地元の漁師に馬で対岸まで渡ることができる浅瀬の場所を教えてもらいます。なんと、盛綱は口封じのためにその漁師をその場で殺し、海に沈めてしまいました。
盛綱はその功績を称えられ、備前国の児島の領主となりました。
乗出岩(のりだしいわ)
倉敷市有城にある「乗出岩」は、盛綱が馬と海に入った地点とされています。ここから南に約3kmのところにある先陣庵まで、馬とともに海を渡ったのです。
鞭木(むちき)
今は住宅地の中にある小さな公園となっています。探すのに苦労しました。
先陣庵
戦後に庵を建て、戦没者や浅瀬を教えてくれた漁師の霊を慰めたと伝えられています。
藤戸寺
盛綱は戦後、両軍戦没者の供養と、合戦で荒れた藤戸寺の修復を行ないました。
経ヶ島
浅瀬を聞き出したあとに口封じのため海に沈めた漁師のために大供養を藤戸寺で行ない、写経をこの島に埋めたため「経ヶ島」と呼ばれるようになったそう。
笹無山
その母が「佐々木と聞けば笹まで憎い」と、すべての笹を抜いてしまったとされる山が「笹無山」。「佐々木」と「笹」が掛かっているのかと思いきや、説明版によると、浅瀬を教えるときに漁師が目印に笹を立てたことから、笹が憎かったようです。
藤戸まんぢゅう
ぜひ下の地図をチェックして、盛綱が海を渡ったルートを見てみてください。