岡山市出身の児童文学作家「坪田譲治」をおいかけて故郷・島田界隈をめぐってみた

岡山市名誉市民でもある児童文学作家「坪田譲治」がうまれた町・岡山市北区島田地区をめぐってみました。詩情あふれる譲治作品の世界と同じように、ゆっくり時間が流れていますよ。
掲載日:2024年06月28日
  • ライター:おもとまちこ
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坪田譲治とは?

坪田譲治は岡山市出身の児童文学作家。1980年(明治23年)今の岡山市北区島田本町に生まれました。
ふるさと岡山を愛するこころ。こどもの、おとなの、人間のまなざし。譲治の眼をとおして創作されたたくさんの童話は、日本の新しい児童文学の世界を切り開いたとされています。

善太と三平のブロンズ像(JR岡山駅西口)

ある日のJR岡山駅。夕日に照らされる像がふと気になってながめていると、傍らには「坪田譲治生家への道」という案内板が。坪田譲治って「一体どんな人なんだろう?」「どんなことをした人なんだろう?」。もう夕方なので日をあらためて、坪田譲治を追いかけてみることにしました。

【ブロンズ像】
所在地:岡山県岡山市北区駅元町1-1

島田製織所跡(現なかよし保育園)

JR岡山駅西口からほど近い島田本町周辺に、ゆかりの地が多くあるようです。まずは譲治が通っていたとされる石井小学校(旧石井尋常小学校)あたりから、実家が営んでいたとされる製織所跡へと向ってみました。この場所でランプの芯などを作っていたんだとか。まだ電気のなかった時代、どんな生活だったのかな。

【島田製織所跡】
所在地:岡山県岡山市北区島田本町1-4-42(現なかよし保育園)
島田製織所跡の目の前には、子ども時代の譲治が川遊びに興じたとされる川(旧大川)が流れていました。「流れが速くてなかなか橋を架けられない」と、童話「おにろく」の中に登場する川でしょうか。水底から鬼があらわれるかな? 通りの看板には「坪田譲治生家跡 220m」とあります。

生家跡

小川に架かる橋をわたった先に生家跡がありました。明治23年にこの地に生まれ、5歳のころに日清戦争がはじまることになります。「心の遠きところ 花静かなる 田園あり」。大きなクスノキの下の石碑に刻まれた譲治の詩は、とても穏やかです。

【生家跡】
所在地:岡山県岡山市北区島田本町2-7-3

エヘンの橋

生家のすぐそばには、譲治が「エヘンの橋」と命名したとされる小さな橋が現存しています。この橋の辺りまで来ると「エヘン」と咳をする仕事帰りの父。咳をきいて食事の支度をはじめる母。こどもの心情をありありと描く譲治の世界に、少しだけ触れることができました。

【エヘンの橋】
所在地:岡山県岡山市北区島田本町2-7-3付近

奉還町商店街

島田地区からすこし足をのばしたところにも、譲治ゆかりの地が。JR岡山駅西口から徒歩5分ほどの奉還町商店街にも、たびたび買い物に訪れていたんだとか。1867年の大政奉還をきっかけに始まったという、なんとも歴史深い商店街。レトロな駄菓子屋さんも健在です。

【奉還町商店街】
所在地:岡山県岡山市北区奉還町周辺

お竹まんじゅう

奉還町商店街から岡山県総合グラウンドへと向かう途中で、大判焼き屋さんに遭遇。昭和21年(1946年)創業という老舗のお店。「きっと譲治が生きた時代の味をのこしているにちがいない」と、思わず列に並んでしまいました。餡の種類がたくさん選べて、譲治もびっくり?でしょうか。分厚さにもびっくりです。

【お竹まんじゅう】
所在地:岡山県岡山市北区奉還町2-19-17

練兵場跡地(岡山県総合グラウンド)

譲治が志願兵として訓練した、旧日本陸軍の練兵場跡地です。今では岡山県総合グラウンドとして憩いの場になっています。洋風近代建築・総合グラウンドクラブ(旧岡山偕行社)からは、当時の香りが感じられますよ。すぐ近くの「吉備路文学館」にも譲治ゆかりの品々が展示されています。ぜひ足を運んでみてくださいね。

【岡山県総合グラウンド】
所在地:岡山県岡山市北区いずみ町2-1
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