風にのって「涼」と「美」が漂う、粋で艶やかな『撫川うちわ』

「歌継ぎ」と「透かし」の粋を施した、 目にも涼やかな風雅なうちわ

岡山市北区撫川(なつかわ)地区で作られている撫川うちわは、岡山が誇る伝統的工芸品。その特徴は、なんといっても「歌継ぎ」と「透かし」の2つの技法にあります。
『むらさきの ふっとふくらむ 桔梗かな』
ふっくらとしたお多福型のうちわ上部に描かれた雲形の模様。よく見ると、模様の中に俳句が読み取れます。これが「歌継ぎ」の技法で、一筆書きで表現された歌は、まるで海を縁どる波のよう。その句に呼応するように、キキョウの句ならキキョウを、蛍の句なら蛍をと、花鳥風月の絵柄が、うちわを艶やかに彩ります。
光にかざすと、絵柄と俳句が鮮明に浮き出てくる、美しい仕掛け「透かし」が。美術品のような粋なうちわに、古くから多くの人が魅了されてきました。

江戸時代から脈々と受け継がれる伝統

撫川うちわの始まりは、はるか江戸時代までさかのぼります。
元禄12(1699)年、備前国(現在の岡山市)の庭瀬城に入城した板倉家は、もともと三河(現在の愛知県)の大名でした。板倉家は、4代将軍・徳川家綱に献上するほどの精巧なうちわの技術を有しており、それが庭瀬に伝来。最初は板倉藩士が内職として作っていたものでしたが、庭瀬城に隣接する撫川にも技術が伝わり製作されるように。藩内を流れる足守川の岸辺に、うちわの骨に使用される女竹が群生していたことから、さらにうちわ作りが盛んになっていきました。
江戸後期には、参勤交代のみやげものとして広まり、「撫川うちわ」として天下に名をとどろかすまでになっていったのです。
明治期に産業化に押され衰退し、戦後には一時消滅。それを復活させたのが、坂野定香・次香親子。現在は、保存会「三杉堂」が技を受け継ぎ、撫川うちわを今に伝えています。

美しさの裏側に緻密さあり。匠の手仕事で「涼」と「美」を届ける

撫川うちわは、骨作り、紙作り、紙張りと大きくわけて3つの工程で構成されます。竹を64本均等に割っていき、和紙を自ら染め、透かしの仕掛けを施すため3枚の和紙を寸分の狂いなく張っていく。緻密なまでの作業をすべて手仕事で行うため、1人の職人が作れる量は年間わずか150本たらず。そのため、なかなか市場に流通しない幻のうちわとして珍重されています。
サイズは3種類あり、「男持ち」の大、「女持ち」の中、「飾りうちわ」の小。女竹が生み出す、しなやかで心地よい風は、「涼」とともに「美」も一緒に届けてくれます。匠の技が紡ぐ一本を、ぜひその手にとってお愉しみください。

取材協力:撫川うちわ保存会「三杉堂」
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