(公財)岡山県郷土文化財団/万城(まんじょう)あきさん
岡山県郷土文化財団の主任研究員として、長年にわたり岡山後楽園や岡山城に関する研究を続けている万城あきさん。岡山市生まれで岡山市育ち。岡山大学文学部史学科卒業後は「郷土の情報を伝える仕事ができたら」と地元のテレビ番組制作会社に入社し、備前焼や郷土出身の文学者・坪田譲治などの紹介番組の制作に携わっていました。結婚を機に一度岡山を離れ関東へ。ご主人の仕事の関係で渡米後、お子さんが幼稚園に入るタイミングで帰国して実家のある岡山に帰郷。その時に出会ったのが、岡山県郷土文化財団が主催する「内田百閒文学賞」のコピー作成のアルバイトでした。その後、学芸員の資格を持っていたことと、大学時代に古文書を学び、くずし字が読めたことから内田百閒や岡崎嘉平太の資料整理に携わります。やがて、「岡山後楽園史」の編纂を担当。その経験を活かし、平成17年(2005年)から始まった後楽園の専任ボランティアガイドを養成する「後楽塾」では、講師として開講当初から中心的な役割を果たしています。
「岡山後楽園」の本当の姿を伝える
平成9年(1997年)に岡山県郷土文化財団の正職員となった万城さん。平成12年(2000年)の岡山後楽園築庭300年記念事業の一つ「岡山後楽園史」の編纂に着手したことが、後楽園との関わりの始まりでした。長年整理を行っていた内田百閒の資料に後楽園が度々出てきたこともあり、どこか身近に感じられ、さらに資料を紐解く中で昔と今の違いも分かったといいます。また、空襲で焼けてしまった延養亭や鶴鳴館の能舞台といった建物が、古い絵図に基づいて復元されたことなど、歴史を正確に残す資料の重要性を感じたそうです。実は大正時代、後楽園は全国的に人気の観光スポットでした。しかし人気の高まりに伴って面白おかしいエピソードが増えていき、本来の姿からかけ離れた俗説が増産され、それが真実と誤解されるように。万城さんは「岡山後楽園史」の編纂にあたって、これらの俗説に惑わされないよう間違いを排除し、「後楽園の本当の姿を知ってもらうことを目的として史実に沿った編纂を心がけました」と振り返ります。
岡山後楽園専任ボランティアガイド「後楽塾」誕生
平成13年(2001年)、「岡山後楽園史」が完成。その際に、今後これをどう活用していくかという議論が生まれました。そんな中寄せられたのが、岡山市で観光ボランティアガイドを行っている人たちからの「岡山後楽園史」を作って分かったことを教えてほしいとの声。当時の後楽園を紹介した書誌には俗説の内容も多く含まれていたため、本来の後楽園の姿を伝えることに賛同してもらったうえで、「岡山後楽園史」をベースにガイドのレクチャーを行うことになりました。そして平成16年(2004年)、当時の後楽園事務所長から万城さんに、「「岡山後楽園史」の内容を習ってもらう塾を作って後楽園を知ってもらい、その知識をボランティアガイドとして来園者に伝えることで還元してもらうのはどうか?」という提案があり、岡山後楽園専任ボランティアガイド養成の「後楽塾」がスタートしたのです。同塾は毎年11月に入塾、2年で卒塾となりますが、卒塾後は希望により後楽園のボランティア組織「キラリ応援隊」のガイド部門に登録し、ガイド活動を継続していきます。
ボランティアガイドへの想い
「後楽塾」の第1期生募集は平成17年(2005年)にスタート。開講時より講師としてガイド養成の中心的な役割を担っている万城さん。間違った情報を伝えることで後楽園の評判が失墜しないよう、きちんとした知識を持った専任のボランティアガイドの育成に尽力しています。「専任となると責任が伴います。ボランティアとはいえ、自分の知識で自由に説明するのではありません」。講義では「皆さんがガイド中に話す内容が後楽園のすべてになる。間違ったことを伝えてしまったら、歴史を曲げてしまいかねない。だから分からないことは分からないと正直に言ってほしい」と話しています。また、ガイドデビュー後も卒塾生と毎月ミーティングを行うほか、電話やメールの質問にも応えているそう。万城さんは現在、江戸時代の絵図に基づいた講義と明治以降の後楽園についての講義を担当し、ガイドの質向上に努めています。
歴史を正しく伝えて観光を応援
「ガイドの知識として、後楽園が300年間どのように保たれ、どのように変わってきたか、また何故変わってきたかを知ることが大事だと思います。その歴史を伝えることを“観光”にも繋げていけたら」と語る万城さん。実際長い歴史の中で、藩主が変わって池の島の数が増えたこともあったとのことで、そんな話を園内散策しながらガイドさんから聞けば、理由や背景により興味が湧いてきそうです。また、反対にずっと変わっていないものもあります。それが後楽園のガイドでは絶対外せないという延養亭。「延養亭は築庭時からずっとあの場所から変わっていないんですよ。岡山藩二代目藩主・池田綱政が作った最初の一歩がずっと守られている。なぜこの場所にこの建物を作ったのか? 延養亭を訪れ、そこから見える景色を目にすれば、綱政がこの庭園に何を求めていたかが分かります」。
より楽しく深く岡山後楽園を知ってもらうために
万城さんに後楽園の魅力とボランティアガイドの意義を尋ねると、「ここに来るといつも気分が晴ればれするんです。観光客の皆さんには、歴代藩主が感じていた、庭を見てすっきりした気持ちを感じて帰って欲しい。ガイドの役割はそのお手伝いをすること」との言葉。そして、より楽しく深く後楽園を知ってもらえるよう、ガイド養成だけに留まらず、後楽園の歴史や歩み、見どころ、季節の行事や園内の花などを絵図や写真を用いて紹介した各種パンフレットの作成にも携わり、長年の研究成果や知識を惜しみなく提供して観光客の満足度を高めています。令和5年(2023年)の募集で19期を数える後楽塾。これまでの卒塾生(1期~16期)の総数は228名。万城さんに学んだ大勢のボランティアガイドが、今日も岡山後楽園を訪れる人々にその魅力を伝えています。